設立時はわずか20名程の学生たちで編成された東京学生交響楽団は、その後青年交響楽団の名で活動を続け、戦後の混乱期の中でプロ・アマの垣根をこえた団体として話題を呼びます。
世代の交代期、さらに練習場・楽器・楽譜の確保など、問題が山積みしたため、オーケストラ存続の危機が訪れました。
本格的な再建が検討され始めます。千代田区文化協会初代理事長であった故緒方孝太郎氏を中心に千代田フィルハ-モニ-管弦楽団として再出発。
故 中山冨士雄氏(元音楽監督)指揮のもと、第1回定期演奏会を第一生命ホールで開催。団員も少なく、練習会場探しや楽器運搬など苦労が絶えませんでした。
定期的に千代田区九段社会教育会館を使用できるようになり、団員数も増え、現在では20代から70代までの社会人が約60名。区民に親しまれるアマチュアオーケストラとして年に3~4回の演奏会を行っています。